2009年5月30日 (土)
2009年5月29日 (金)
2009年5月26日 (火)
2009年5月23日 (土)
物流棚卸し
今日も先週の土曜に引き続きお仕事です
ちなみに、今日は事務所ではなく、杉戸にある倉庫に梱包不良品の在庫の状態写真を撮りに上司と二人で行ってきました![]()
かなり真っ黒になりました~
かなり量が多くて全然終りません![]()
2009年5月17日 (日)
萱野国老法要
今日は、戊辰戦争で会津藩降伏の後、戦犯として責を負って自刃した萱野権兵衛の法要が東京白金の「興禅寺」で法要。
11時45分に白金高輪駅で待ち合わせし、去年同様「このむ」でランチ。
去年とメニューがガラッと変わってて、ランチはうどんオンリーになっていました
私は「釜玉うどん」…ウマウマでした![]()
法要、今年も大体20名程度。保久様がいらっしゃっていました。函館から健ちゃんさんがいらっしゃっていたのにはビックリでした
良い法要になりました。
法要終了後、他の方と一緒に初対面の方も含めて計7名で恵比寿でお茶して、夕方から恒例のガーデンプレイスの「北海道」で「勉強会」
楽しかったです![]()

7時頃一部の方々とはお別れして、残り4人で「補習」に。反対口の「魚真」へ。お酒メニューには会津坂下の「天明」
があって、みんなで飲み干す勢い(笑)で飲んでました。
お魚もメチャメチャ旨い~
岩牡蠣メチャメチャ大きくて美味しかった~
(しかも中サイズ1個サービスして貰っちゃいました
) 食べ物もお酒も美味しかったので、ついつい飲みすぎてフラフラ~![]()
「MH研究友の会」も発足です(笑)第二回総会も来月計画済みです(笑)
2009年5月11日 (月)
2009年5月 9日 (土)
小石川~本郷史跡巡りと…。
来週から土曜出勤が始まってしまうので、体力のある内に…と、都内史跡巡りに行ってきました。
先日のGWにTBSで特番で特集していた赤坂サカスで10日迄の期間限定で「花畑牧場」が出店して、通常宮崎
でしか販売しない東国原とのコラボで宮崎マンゴー「天使のたまご」を使った「マンゴー生キャラメル」を特別販売するというので、せっかくなので史跡巡り前に行って来ました![]()
この限定ショップでは、セット売りのみで、更に味もマンゴ
ーとプレーンしか無いらしいので、マンゴーとプレーンを購入
更に併設していた「サカス花畑カフェ」で、スイーツBセット(ドリンクとロールケーキと本日の生キャラメル2コ)と「ホエー豚おにぎり」
を購入。
ロールケーキもメチャウマでした
おにぎりは史跡巡り中のお昼ご飯用にテイクアウト。
そこから「後楽園駅」から歩いて「伝通院」へ。
ここの目的は梶原平馬景武と二葉の間の子「梶原景清墓」広い中だし、すごい探すかと思っていたのですが、結構あっさり見つかって良かった![]()
ただ墓石の石が文字がすごい読み取り辛い石で、名前の判読に苦労しました![]()
他に、「清河八郎墓」、「千姫墓」、会津藩七代藩主容衆夫人「元姫墓」、文久三年の七卿落ちの一人「沢宣
嘉墓」を見て廻る。更に御朱印を頂いたら「御供物」として菓子を頂きました。(しかも葵の御紋付
)
※ちなみに、伝通院といえば、新撰組の前身「浪士隊」が結成した場所です…が、その塔頭「処静院」は後に住職が暗殺され廃され、現在は痕跡もありません
この処静院では彰義隊の集会も開かれたようです。
駅に戻る途中の大きな公園で、赤坂で買った「ホエー豚おにぎり」
を食べる。メッチャウマ
ホエー豚丼も食べてみたい~![]()
伝通院を後にして、「本駒込駅」へ行き、徒歩5分で「吉祥寺」へ。ここは若者の町として有名な「吉祥寺」の発祥ともなったお寺。ここには「榎本武揚墓」を。ここでも御朱印を頂きました![]()
歩いてすぐの「養源寺」へ。ここには稲葉家に輿入れした会津藩主容貞娘「員姫」の墓があるのです。ウキウキ
と、寺の裏手に行くと…「無い
」![]()
案内板は「稲葉正勝墓」とあるのに、その先が無い。御住職に聞くと、台座がだいぶ傷んでいたので、台座の修復で今は無く、6月頃修復完了するとのこと…
がっくしデス![]()
とりあえず、予定はクリアして時間もあったので、赤坂サカスで買えなかった生キャラメルの味を買いに、青山の外苑にある「花畑牧場Cafe」へ。
会社の先輩が以前にくれた「バナナ」と「チョコ」と「抹茶」がおいしかったので、これを買おうと思って、店舗へ行ったら案の定すごい行列
でも、以外にスムーズに進みました…が、残念ながら「バナナ」と「抹茶」は完売…
チョコとイチゴだけ買っていきました。
そして、この青山店限定の「ホットキャラメルアイスクリーム」食べて来ました
メチャメチャ美味しかったです~
バニラアイスに、アツアツトロトロのキャラメルソースをかけたモノです![]()
2009年5月 6日 (水)
CGイラストと梶原家系図
今日は、凄く久しぶりにCGイラストにチャレンジ。
下絵を描いたはいいものの、余りに久しぶりすぎて、まずペン軸とペン先、インクを探すところから始めて
、普段何を使ってたかすら思い出せない程で、あたふた![]()
更にペン入れをした後も、この間のパソコンの修理でハードディスクが初期化されてしまった為、スキャナやペンタブレットをインストールするに至り、インストール用のCD-ROMを探し…。(しかもスキャナが、インストールしたら、以前の画面と違うのは何故…??)また、いざ塗る段階になっても、『主線の抽出の仕方ってどうだっけ?』とか『指先ツールが上手く使えないのは何故??』とか、『色を透過させるのってどうやってたっけ?』とか…。途中から少しずつ思い出してきましたが…。 その勢いで、ずっと延び延びになっていた「画廊」もリニューアルをした上で再UPしようと格闘してたモノの…途中でタイムアウト………頑張ります。
とにかく、GWは予定が無い分結局ダラダラ過ごして中途半端なまま終わってしまいました(汗)梶原家の系譜を作ろうと梶原景品から頑張って諸士系譜を読んでいたのですが、あまりの崩しっぷりに所々文字が判読出来ず…。
さて、この「系譜作り」文字の判別以外に大きな壁が。
■梶原平馬景保⇒政之進景高(返嫡子)⇒忠之助景賢⇒??⇒健之助景範⇒平馬景武。
この??の部分が問題なんですよね。
景賢から健之助景範迄の間が途切れてしまう…。
(※一部サイトで景武の養父を健之助景保と書いている所がありますが誤り)
文政6年(1823)時点では、嫡子は景賢(当時14才)になっているのに、安政6年(1859)時点にはいきなり健之助景範が若年寄として出てくる
…。この間わずか36年。 …この期間を補完する史料はないかと調べてたんですが…。そして、悌彦(景武)が梶原家に養子に行った時期とか、山川二葉と結婚した時期・離婚した時期とか…。パラパラと容敬手記を見ても出て来ない…。守護職時代の往復文書だと、結構出てくるんだけど…。
…っていうか、健之助景範の墓はドコだろう??天寧寺?それとも東京??実成寺には無かったし…むしろ実成寺の天保12年(1841年)没の梶原景義墓とは誰?景高の子の一人か??せめて没年ではなく出生日がわかればな…
今度の会津行きで探してみよう。
大体にして健之助景範は誰の子だ??景賢の子??それとも景賢の二人の弟のどちらか??この二人の弟は幼名だけで諱が解らない。







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